はじめまして、ぽのはぴチャンネルの幸 (Miyuki) です。
私は現在社会人として会社勤めをしているけど、もっと自由に、いい意味で力を抜いて自分の人生を楽しく生きていくことを目標に日々色々なことに挑戦をしております!
その中で考えたこととか、今まで、そしてこれからの経験について備忘録を取りつつ、それらが少しでも誰かの役に立てばなと思ってブログを始めました。
今回は最初の記事ということで少し自己紹介をば!
楽しかった小中時代~失われた高校時代
私は父の仕事の関係で幼稚園3つ、小学校3つに通いましたが、3年生の時に小学校受験で小中一貫の国立の小学校に入り、受験期は大変だった記憶があるものの、入学してから中学を卒業するまでは普通の義務教育とは少し違った、常識にとらわれすぎない環境でのびのびと育ちました。
周りの子達も優しくて頭のいい子達ばかりで、当時は気が付きませんでしたが私自身少しADHD気質があったり、勉強もそこまで好きでも得意でもありませんでしたが、私の個性をみんなが認めてくれ、毎年のように学級委員を務めながら楽しく過ごしていました。
中学2年生の夏に部活を引退してからやっと受験勉強を始め、(とはいえ今思えば部活をしているときも部活終わりに塾に行っていましたが…)
学校が終わってからそのまま塾へ行き、夜の10時過ぎまで勉強するという日々を過ごしていましたが、高校受験に失敗…。
同じ塾で一緒に勉強していた仲間は私以外全員志望校へ合格…。それが悔しくて高校は絶対に勉強を頑張る!!!と決めて私立の高校へ泣く泣く入学。(田舎は公立の方が頭がいいんです笑)
スポーツが大好きでこれだけは毎回上位の成績を取れていた私でしたが高校では部活にも入らず勉強に専念。
先生たちの口癖は「大学生なんてどうせ人生の夏休みなんだから高校生の今くらいは勉強だけに専念するべきだ」「学歴だけで人生が生きやすくなるんだから3年くらい我慢しろ」「部活なんかしてる暇ない」
でも如何せん私は勉強が苦手で…。
3年間楽しい思い出もろくに無く、心が壊れそうになりながらも、これも将来のためだと信じて頑張りました。
結果…大学受験見事失敗!!!!高校時代の記憶は本当にほとんどありません。
でも、この失敗が私の考えを大きく変えた最初の出来事だったと思います。
修行の大学と楽園の留学
落ちた先で入った大学では全ての授業が全部英語。
ここではない、普通に日本語で授業を受ける国際経営学部に入るつもりでいましたが、自分がワクワクするのは英語の方かもしれない…!と思い直前で提出書類の内容を変更しました。
当時は迷いながらの判断でしたが、今思えば最高の決断だったと自分に感謝しています笑
高校時代のように頭で考えて道を選ぶのではなく、心がわくわくする法を選んだ結果だと思います。
とはいえ、大学での生活は生易しい物ではありませんでした。
全く海外経験がなく、特に英語が得意だったわけでもない私でしたが、周りは海外経験者ばかりで入学初日から英語が飛び交う飛び交う…。
授業にはついていけないというより蚊帳の外。意見を聞かれても何を聞かれているかわからないし、かろうじて聞き取れてもYesかNoでしか答えられない数ヶ月でした。
みんなが30分で終わる課題を毎日6時間以上かけて終わらせるような日々で、これほど自分の母国語が日本語であることを恨んだ時はありません。(大学は人生の夏休みという幻想は完全に打ち砕かれました笑)
ただ、その分アメリカに1年留学したその期間は本当にパラダイス!
課題がきついと苦しんでいる留学生はたくさんいましたが、日本で先に苦しんでおいた私にとって、長くても2時間で終わる留学先での課題は私にとってはハッピーハッピーでした。
母国以外の全く違う環境で、課題量も普段より多く、さらに英語もまだ慣れていないという状況で行っていたら、きっと私も本当にしんどい思いをしていたと思います。
ただ、自由に使える時間がたくさんあって、日本文化よりも堅苦しくない環境で高校からのストレスを発散するように過ごした私は、新卒としての就活をあまりに軽く見ており、なんとなく適当な会社に入ってしまいまたもやしっかり…失敗しました!!!!笑
闇落ち社会人
英語は使わない。今まで勉強したことも使わない。日本の大学生の飲み会ノリをそのまま持ってきたような社風で何か問題が起きたらとりあえずお酒を飲む。タバコとお酒が昇進のコツ。それが向いている人にとっては楽しい会社なのだと思うのですが、私にはちょっときついものがありました。
と、いうよりも、もしかすると私が学生時代に将来のために自分を犠牲にして耐え抜いたというプライドが強く働きすぎて、自分が今までの頑張りに見合わない不当な扱いを受けていると感じたのかもしれません。燃え尽き症候群のようなものもあったのでしょうか。
今思えばADHD気質も少し関係していたのだと思います。
今でもその会社の人とは個別につながりはありますし、決して悪い会社ではなかったはずなのですが、当時の私には悪の組織にしか見えていませんでした。
そしてメンタルを大幅に崩してしまい、会社で行われた健康診断で心電図にも引っかかり、そのまま不整脈を抱えながら働いていましたが耐えられなくなり、前から行きたかったカナダのワーキングホリデーに行こうと会社を退職。
しかし退職のタイミングが2019年12月末だったため、ちょうど2020年の2月ごろからはじまったコロナ禍に直撃してしまい、ワーホリは一旦様子を見ることに。
不整脈はカテーテル治療で治るということだったので、時間があるこの機会に治しちゃおう!ともう一度病院に行きました。すると何も治療をしていないのに検査の段階ですでに波形は正常に…。
「へー。これって何もしなくても戻ることあるんだ。」と、思いながら、コロナも収束する兆しが見えず金銭面にも不安が出てきたのでワーホリは断念。
退職から約1年後に国際部に入れてもらえるとのことで日本の企業に再就職しました。
ただ、英語は前職よりも多少使うものの、『THE 昭和の日本企業』という社風の会社だったため価値観や仕事に対しての考え方、仕事のやり方などが合わず、また色々な会社の事情で私のとても苦手な事務の仕事をすることになってしまったこともありストレスが溜まってきたところで「…あれ?不整脈返ってきてない…?」
ちょうど会社の定期検診だったので心電図をとってみると「あの波形戻ってきてる!!!」
先生に聞くと、やはりストレスによって出たり消えたりするとのこと。
なるほど、私は合わないことをすると顕著に脈に影響するんだ!わかりやすい!ということで、自分の脈を指標に(?)改めて生き方を変えていこうと決意しました。
まとめ
大学を選んだ時のように、自分がわくわくすることをやっていきたいと考えた結果、私は色々なことを勝手に考察したりすることが好きだなあと思ったので、これから色々なテーマで一旦はつれづれなるままに記事を書いてみたいと思います!
数年後には海外移住も視野に入れていますのでそのあたりもお伝えできたらと思っています。
楽しんでいただけたら幸いです!
では、幸でした!